演習日誌


1日目:7月20日(担当:井川)

 

 7:10 成田空港に集合。9:30 成田→香港。まずは中継地の香港へ向かう。周りには香港旅行をする日本人の観光客も多かったのであまり緊張しなかった。飛行機の案内が英語と中国語になっていて、ついに中国に行くのだなあと実感した。 13:30 香港空港に到着 。乗換のため香港空港に。検査を終えたあと、しばらく時間があるので空港内を散策しつつフードコートで昼食をとった。16:30 香港→成都。予定より遅れて香港空港を出発。フライトは2時間ほどだったが、外に大陸の雄大な山々や集落が見えて、日本とは違う雰囲気に圧倒された。 

 18:30 成都天府空港に到着 。長いフライトを終えて、ついに成都に到着した。中国籍の学生は入国審査をすぐに終えたが、他の国籍の学生と先生は入国までにかなり時間がかかった。19:00 ホテルへ移動。空港からホテルまで距離があるので、ホテルまでバスで移動した。一つ一つの建物について中国籍の学生に色々と教えてもらい、改めて中国という国のスケールの大きさを実感した。成都市郊外のホテルに到着。大人数でのチェックインをなんだかんだ済ませて、その後は思い思いに過ごしていた。筆者は道中あまり寝れなかったため疲れていたようで、気づいたら布団の中でゆっくり眠っていた。 

 慌ただしい1日目となったが、同時に未知の世界に踏み込む記念すべき日になった。2日目の日中シンポジウムにも新鮮な気持ちで臨みたい。 


2日目:7月21日(担当:池田)

 

 今日はメインイベントとして四川・日本文化遺産保存学術交流活動があった。7:20 ホテルからシンポジウム会場へ移動。ホテルの食事会場で朝食を済ませ、ホテルを出た。ホテルを出ると湿気があり、ジメジメした天候と翻訳に追われる通訳者の「これなんて訳した?」「これどういう意味?」の通訳者同士による焦燥感がミックスする中、会場に向かった。9:00 シンポジウム開催 。今回行われた「四川・日本文化遺産保存学術交流活動」は、日本と中国の文化遺産の専門家が集い、文化遺産の保護利用と持続可能な発展をテーマに深く議論し合うというものであった。会場はホテルの26階にあり、予想をはるかに上回る規模感であった。参加者は私たち筑波大学大学院学生は勿論、先生方と四川省文物局の専門家、中国の先生と文化財に関わる専門家と多くが参加した。9時から司会者の挨拶から始まり、920分~11時までは各先生の学術報告が始まった。 

 11:3013:00 お昼ご飯 食事(ビュッフェ)。食事はホテル2階中華レストランで食事を済ませた。 13:35 午後の部開始。16:0自由交流。

自由交流では四川省文物局の専門家と上北先生、八木先生が壇上に上がり、今後の文化財保存がどの方向に行くのか自由交流を行った。 

 18:00 成都中心部。シンポジウムが無事終了し、みんなで成都中心部にくり出した。目に付いたお店に入り、ウサギの揚げ物を売っているお店が何店舗も存在し、日本人である私にとっては正直驚いた。 今回食べた火鍋のお店は中国全土にあるチェーン店で、辛いのが苦手な日本人グループと中国人グループに分かれて食事をした。

22:30 ホテル帰宅。火鍋を食し、散歩がてら成都の商店化(ハイブランドの入った景観に配慮した建物は特に印象的であった)された地区を回って終電の電車に乗り、ホテルに帰宅した。 

 一日を振り返って、成都という地でいろんな“はじめて”を経験した。はじめての電車、はじめてのシンポジウム、はじめての火鍋。私にとってすべてが新鮮で刺激的な一日になったに違いない。


3日目:7月22日(担当:大久保)

 

 今日は成都からチュンライ市に移動する日だ。朝の10時からバスに乗ったが、昨晩は中国式のマッサージを受け、体は休まったが目が覚めてしまった為、睡眠時間が足りなく、バスに乗った瞬間に目を閉じてしまった。

 チュンライ市に到着して降りると、成都とはまた違った景色がそこにはあった。中国の古い街の景観は、日本の古い町の景観とは違う部分がたくさんあり、とても新鮮であった。私たちはバスに乗ってから一度も食事を取っていなかったので、この街の周辺で食事を取ることとした。本場のレイジースーザンの円卓を堪能することができた。特に美味しかったのは、茄子の揚げ物だ。

 食事を堪能した後、ついに街の探索に向かうこととした。大きく歴史的な橋を渡り、チェンライ市の街中を歩いていくと、様々な建造物を目にすることができた。そして途中、とても暑い気候にやられていたときに陳さん(TA)が現地の牛乳を買ってくれた。その味は日本の牛乳とはまた違い、大豆の味がとても強く美味しかった。 さらに街を歩いていると、焼き物に覆うように竹の糸が編み込まれている、現地の伝統工芸品と出会うことができた。これは様々な模様が編み込まれており、デザインがとても見ていて面白かった。また、川沿いを歩いていると、だんだんと川の流れが緩やかになってきた。どうやらここは川が他の市に向かって流れており、途中で3つに分かれるらしい。日本の田舎町とは異なる特徴を持っているので、日本の街と比べながら歩くのは、とても楽しかった。

 午後6時ごろから、次の日の学生交流で私は自分のテーマを発表しなければならなかったので、発表するメンバーたちと共にホテルに戻り発表資料を作った。結局夜1時までかかり、約7時間かけて資料を作ったが、このような経験はなかなかできないので、私としてはとても良い経験になった。


4日目:7月23日(担当:牧)

 

午前:日中青年建築遺産保護交流会 

 ホテルを9時前に出発し、チュンライ市の中心部へ向かった。午前中はチュンライ市人民政府主催の日中青年建築遺産保護交流会に出席した。21日に参加したシンポジウムよりは小規模なものの、会場の多くの席は学生たちで埋まっていた。交流会の序盤では、前漢の司馬相如と卓文君の物語が二千年の時を超えて現在と共鳴するという壮大な内容のチュンライ市のプロモーションビデオが流れ、中国の歴史の深さを改めて実感する機会ともなった。

 日本側からは下田先生と伊藤先生(上北先生が体調不良のため代わりに登壇)、神奈川大学の花里先生が参加し、また重慶市の日本政府領事館領事の方も出席されていた。交流会終了後は会場近くのホテルのレストランでビュッフェスタイルの昼食をとった。 

午後:博物館見学・交流会 

 昼食の後はまたマイクロバスに乗り、チュンライ市の邛窯考古遺跡公園へ向かった。チュンライ市は西南シルクロードの起点成都から南へ向かう時の最初の街として貿易の拠点であったらしい。酒造でも有名だったそうで、想像以上におもしろい歴史があることに驚いた。本公園含め、もう少し時間があったらチュンライ市の歴史地区をじっくり見学したかったなと思う。 

 公園内の建物で開催された交流会は、多くは日本側の学生だったが、中国側からも教員と学生が参加されていて双方が発表する機会が設けられた。教員に加えて4人の学生が自分の研究テーマについて紹介を行った。かなり時間が押していたものの、全員が堂々と発表を行っており、聞いているだけでも刺激を受けた。交流会の後は和やかな雰囲気の中みなで食事を楽しんだ。この日は一日中学術交流で座学が中心となったが、翌日からはいよいよ調査が始まる予定だ。 


5日目:7月24日(担当:鄭)

 

元は火井鎮に現地調査に行く予定があったが、洪水と土石流の警報が出てしまい、豪雨が続く中での遠出は危険である可能性がある。そのため、火井鎮への調査は26日に延期した。   

830分にホテルのロビーに集合し、打ち合わせを行った。その後、9時から室内で平楽古鎮について勉強した。14時に雨が小降りになり始めた。まず、みんなで川沿いの洪水の状況を確認しに行った。川沿いには警戒線が張られ、関係者以外の立ち入りが禁止されており、川にかかる橋も通行が禁止されていた。また、いくつかの家はすでに浸水しており、住民たちは家の中に入ってきた水を処理していた。 

 その後、東岸北地区、東岸中央地区、東岸南地区を視察した。そこで、多くの空き家が賃貸や売却の対象となっていることを発見した。周囲の住民に聞いたところ、コロナ禍の影響で観光業が低迷し、多くの店舗が閉店したという。その中の一軒には「D級危険家屋」と書かれた紙が貼られていた。周辺にいたおじさんにその理由を尋ねたが、彼は四川方言を話しており、詳細はよく理解できなかった。ただ、大まかに聞き取れたところによると、大量の羽虫の発生が原因の一つであるということだった。中国では、建物の安全性に基づいて建物をA級からD級までの四つのレベルに分類するが、D級は最も危険なレベルである。 

一番面白かったのは、視察途中に「古戯台」の隣でお茶屋を経営している無形文化遺産「川劇」の担い手から、平楽古鎮に関する豊富な歴史や伝説を聞き取ったことである。具体的には、少数民族の文化、お茶やお酒の歴史、茶馬古道、チョン窯や南シルクロードなどについて詳しく説明してくれた。さらに、私たちに古筝の演奏と川劇の一部も披露してくれた。


6日目:7月25日(担当:許)

 

 8時にホテルロビーで集合。下田先生がこれからの調査の内容について説明してくれました。調査する内容は平楽古鎮の歴史的な街並みとその周辺の革新地区に関する貸出、売出の家、景観阻害要因(エアコン、ガラスの窓など)、たまり空間、看板、パーキング、トイレ、ゴミ箱、建築や文化展覧空間です。四つの地域に分かれそれぞれのグループで調査を始めました。 

中央地区は、この古鎮で一番古い歴史のある地域から調査を始めました。この地域は歴史的な物語と景観が豊かなはずでしたが、昔の歴史風貌に合わないところが結構多くてそれは少し残念だと感じます。地図の上に書いた歴史的な町並みだけじゃなくていろいろな細い道に沿って奥まで冒険に入って行ってみたらこの町の人の本当の暮らしも少し感じられました。

12時にホテルロビーへ再集合して午前中調査した内容を下田先生に報告し、改めてグループを分けました。 

16時まで休憩をとり、明日からの調査内容を決めて、19時まで午前中に終わらなかった調査を続けました。 中央地区をもう一周見回って残った内容を終え、各ゴミ箱などの位置を再確認しました。 晩御飯の少し前に私たち以外の外国人チームと出会いました。聞いてみると、彼らも調査でここの古鎮に寄り、晩御飯を食べに来ていました。晩御飯はみんなで一緒に飲み会をしました。


7日目:7月26日(担当:Sun Patricia)

 

午前:グループワーク 

昨夜決めたグループで、各自自由に調査と発表の準備を進めた。我々文化・観光グループは、昨日の調査の結果や平楽古鎮に滞在した数日間の感想を踏まえてより良い観光のあり方についてディスカッションをした。せっかくこんなに長い歴史もあって、昔から伝わってきた伝統手芸もあるのに、観光客が何も知らずにご飯だけのために寄っていくことが非常に勿体無いという結論に至った。そのため、我々は歴史の話を盛り込んだ参加型の観光ルートや無形文化遺産を体験できる方法を検討した。 

午後:火井古鎮見学 

 各自お昼を済ませ、13時20分に火井古鎮に向かって出発した。最初に見学したのは1920年ごろに建てられた「海屋」という場所だった。「海屋」は、国民党の海軍官が自分の屋敷として建てた木造の家で、自分が海軍出身と現地の言葉では「海」は「広い、大きい」意味を持つことから「海屋」という名前をつけた。中国の伝統的な要素に加え、当時新鮮であった西洋の要素も取り入れており、バルコニーの柵やドアに船の錨や舵輪をモチーフとしたところもあった。今日、「海屋」は羌族の伝統衣装や生活用具の展示の他、文化伝承の場にもなっているそうだ。しかし、建物自体の保存状態はあまりいいとは言えなかった。

続いて、科挙で一位を獲得した火井古鎮出身の男装の女性に関する展示と、1920年代の農技院の廃墟を見学した。案内をしてくださった副市長の李先生によると、この廃墟は後々ホテルへ改造されるとのことだった。これは古建築の再利用および観光地化への第一歩であるが、同時にあまりにも観光化・商業化が進み、地元の生活や文化自体が商品化されて伝統的な生活基盤が崩れてしまう恐れもある。このようなジレンマは、中国に限らずどこの地域にも存在し、改めて考えさせられた。 

最後に、清国の時代に建てられた「火井河南街41号民居」の廃墟に行った。ここは、元々陳芝渊の住宅だったが、民国からは火井鎮政府所在地で、現在は成都市重点保護建築となっている。ホールの天井はいつでも崩壊しそうだったが、「中国共産党チュンライ市火井鎮第十四次代表大会」の赤いバナーが掛かっていた。 まだまだ見たいところがたくさんありながら16時半ごろに切り上げた。 火井古鎮では政府関係者の方が数人同伴し非常に丁寧に説明や案内をしてくださり、有意義な学びになった。 


8日目:7月27日(担当:万)

 

 午前は各グループ自由に行動し、昨日やり残した現地調査を続けた。 建築グループはまず建物や道路の測量と図面制作を行った。その後さらに二つのグループに分かれ、一グループは3Dカメラを使って中心部の古い建物を撮影し、もう一グループはドローンを使って全村の分布を撮影した。 観光グループも二つのグループに分かれ、片方は前の夜提案された参加型の観光ルートや無形文化遺産を体験できる方法の観光課題を現地調査し、もう片方は旅行スポットの観光課題の資料を収集した。 水辺空間グループは現在の川の利用現状と河川周辺空間を調査した。この間、同じく日本から来た、中国人の留学生の方に出会った。彼の研究課題は観光関連で、我々はお互いに収集した資料を交換して一緒に河川空間を調査した。

ホテルのロビーで昼食と短い休憩をとり、調査結果の共有を行った。

午後はビデオの作成課題に取り組んだ。建築グループは古い建物を歩きながら撮影し、数分の紹介ビデオを作った。 観光グループは一緒に観光案内所に行き、平楽古鎮の具体的な観光状況を調査して提案した観光戦略とルートについて、ビデオを撮影した。 河川空間グループは現在の川の問題などについて撮影した。 

午後4時~5時頃にみんな調査を完了してホテルのロビーに戻り始め、収集した資料をまとめPPTを作成し、明日の最終報告の準備をした。この間、下田先生は私たちの報告にアドバイスをくれた。みんな夕食を食べた後、真夜中まで作業を続けた。


9日目:7月28日(担当:YANG)

 

 午前は6時半に平楽古鎮を出発し、演習メンバー全員で9時から 『「東アジア歴史地区保護」中日青年対話交流座談会』に参加しました。

平楽古鎮をめぐり、「建築・街の景観」「観光発展」「水辺空間」といった三つのテーマに分け、古鎮の現状および課題に対して、自身らの調査結果と現状に対する意見などに基づき、中国四川省側とコミュニケーションを行いました。 

 今回の調査及び調査結果を通して、歴史地区の保護・持続的発展は中国から見てもいろんな面において大きな問題が存在します。平楽のような古鎮において、観光開発、歴史建築物の保存、住民慣習・生活のバランスをいかに維持しながら発展を続けられるかは今後の大きな課題でしょう。また、それぞれの課題に対して、今後政府からの適切な取り組みや方針がどうなっていくのかということが鍵となります。

 最後に、会議で発表された調査結果について、もう少し感想を述べたいと思います。今回の演習によって、皆さんと共に、調査時のグループ協力だけではなく、調査手法、データ分析・整理など、様々な方面においても力が鍛えられ、物ものに対して客観的・中立的に真相を探り続けるという精神についても大変勉強になりました。 

 

 午後は一時解散→自由活動→再集合→メンバー一部はそのまま中国に滞在し、残りは日本へ帰国しました。自由行動のグループ1は成都市パンダ基地を訪問し、グループ2は成都市産業遺産「東郊記憶」の見学を行いました。